妙心寺 退蔵院
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宮本武蔵と退蔵院
宮本武蔵が愚堂禅師を求めて参禅した頃、この瓢鮎図を前に自問自答したという寺伝があり、武蔵自作の刀のツバ(岡山県・宮本武蔵資料館所蔵)にはこの「ヒョウタンと鯰」がデザインされているものが現存するといいます。
「鮎」→本来中国で作られた「ナマズ」という漢字。日本では「アユ」という意味。
「鯰」→日本で作られた「ナマズ」の国字。中国では「アユ」を「香魚」と書きます。

武蔵と愚堂東寔禅師について
1577年4月8日 岐阜県伊自良村大森に生まれる。父は伊藤紀内、母は斎藤家家臣の女と異説あり
1591年15才 伊自良東光寺において(瑞雲和尚)出家する。
1595年19才 諸方、師を求め、行雲流水の行脚の旅に出る。
1598年22才 宇都宮興禅寺物外和尚に参じる。
1605年29才の冬 播州赤穂三友寺南是和尚に参じる。愚堂無心の境地に入る。(宮本武蔵参禅に足を運ぶ)
1612年36才 庸山和尚、愚堂の号を与え印可を渡し、妙心寺につく。
1621年45才 美濃に行き、瑞厳寺・慈溪・正伝寺に住す。
1624年48才 江戸に行き春日局の帰依を受く。
1628年52才 妙心寺に2度住す。
1642年66才 美濃大仙寺に帰る。
1643年67才 妙心寺に3度住す。
1645年4月19日 宮本武蔵歿する。→62才(64才の説もあり)
  12月11日 沢庵和尚示寂→73才
1648年72才 狩野探幽が愚堂の頂相を描く。
1654年78才 7月、黄檗隠元が来朝する。
1659年83才 妙心寺開山300年遠忌予修す。
1671年85才 京都山科華山寺にて10月示寂

瓢鮎図(如拙筆)
「瓢箪でどうすれば鯰が捕らえられるか?」という禅の問答です。「公案」を表すもので相国寺の僧「如拙」によって描かれました!後に周文→雪舟まで筆が渡ることになり、現存する彼の作品では最も傑出したものです。名前の由来は「大行如拙(タイコウセツナルガゴトシ)」の語からとったもので、「最も大功(上手)であろうとするなら稚拙(下手)であるのがよい。」とされています。又、この瓢鮎図に価値を与えるのはこの問いに対して当時五山文字の名僧とされる31名により賛が述べられている為です。

「上手く捕ろうとするならヒョウタンに油を塗り、一層手を滑らせれば成功するのではないか?」「足元の細かいジャリをすくいご飯の代わりに炊き、鯰が捕らえられたら吸物にして食べてしまおう。」などなど、凡人が頭で考えても理解し難いものになっています。



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